0.02%の金持ちになるには

大半の庶民と何が違うのか

デイトナおじさん

昨夜は全く眠れずに休日がやってきた。
ここ最近、自粛のせいか生活のリズムが乱れている。
ロレックスのサイトを眺めていると新作のモデルがいくつか掲載されていた。
全く眠れなかった昨夜からの「今日」という休日は変にテンションが上がる。
普段、しないようなことを衝動的にしてしまいそうだ。しかも、今日はなぜか自分の欲しいロレックスのモデルが入荷しているかもしれないという第六感が働いている。この第六感は馬鹿にはできない。
正規販売店の前には開店前にも関わらず、たくさんの人が並んでいた。
アップルの新作発売の時のニュース映像かと思うぐらいに。







「青サブが1本入荷したらしいです」
前に並んでいる男性が携帯電話で誰かと話している。
休日なのにスーツをビシッと決め、腕にはステンレスの時計を巻いている。どこのものかは分からない。恐らくロレックスではないだろう。
男性はすぐに話を終え、携帯電話をかばんに閉まった。
そんな男性に年配の白髪の男性が話しかける。
腕には明らかにデイトナがつけられている。
「青サブ狙いなんですか?」
落ち着いた語り口は同時にお金と時間のゆとりを感じさせた。
「サブなら何でもいいんです。デイトでもノンデイトでも」
白髪の男性が頬笑む。
「そうですか。私も実はサブマリーナを購入しようと思っているんです」




どうも、スポロレのレアモデルが入荷したとの真偽不明の情報がSNS上で拡散されているらしい。
道理で人が多いわけだ。



開店5分前、スーツの店員が店から出てきた。
「メンテナンスの方はいらっしゃいますか?」
誰も手を挙げない。
ふと後ろを振り返ると、そこには10代から80代ぐらいまでの男女がたくさん並んでいた。
合計で20~30人ぐらいだろうか。


店員は手を上げない私たちの方を見定めるようにしながら話を続けた。
「本日、スポーツモデルの入荷はごさいません」


そう言うと、並んでいたオタク系男子1人が「なんだよ、またか、」といった感じで列から離脱した。


そして店が開き、店員の誘導のもと、一定の感覚を空けながら、アルコール消毒をし、ショーケースのあたりまで足を進めた。


「何かお探しですか?」
美人な女性店員が頬笑む。


「サブマリーナを探しています」


「あいにく、サブマリーナの入荷はごさいません」


「非常に人気でして、一応、当店での入荷の実績はあるのですが、すぐに売れてしまうという状況です」


私は頷きながらショーケースのオイスターパーペチュアルなどに目をやる。
さっきの携帯電話の男は店内でも携帯電話片手に誰かと話していた。
話の内容までは分からない。



「ありがとうございます」
そんな男性の店員の低い声が聞こえてきた。
眼光が鋭くて一番背が高い店員だった。
そしてその傍らにはさっき携帯電話の男に話しかけていたデイトナの白髪男性がゆっくりと奥の方に向かって歩みを進めていた。
店員と共に歩いている。
2人は個室のようなところに入ってしまった。



店内には気がつけばたくさんのお客さんで溢れかえっていた。
みな、マスクをしているが、熱心に「サブマリーナはないか?」「スポロレを探しているのですが」
といった具合に店員に尋ねていた。
しかし、みな、店員の「入荷がございません」という一言で店を出てしまっていた。



僕も諦めかけ、店を出ようとすると美人女性店員は言った。
「本当に欲しいものをご購入くださいね」



僕はその意味を店員に尋ねたかったが、実際に発した言葉は以下の通りだった。
「今日、入荷の可能性はありますか?」

すると美人女性店員は言った。
「可能性はゼロではありません」


言い換えれば限りなくゼロに近い戦いということか。
僕は礼を述べて店を出た。
人通りも増え、休日のランチタイムムードになっている。
前回、訪れた時には入店さえもさせてもらえなかったことを考えるとまずまずの進歩だなと思った。



商店街をくぐり抜け、並行店に立ち寄る。
サブマリーナが展示されてある。キラキラと輝いている。
定価の遥か上をいっている。



「青サブの入荷なんてガセじゃないか」
スマホを訳もなくスクロールしながら心の中で言った。

昼食は適当にパスタと自家製パンを食べた。
若い女性だらけで恥ずかしかった。

しかし、女性だけではないとすぐに気づいた。
斜め向かいの客席にあのデイトナ白髪おじさんがいたのだ。
2人がけのテーブル席の壁側に座り、テーブルの上にはなんとロレックスの手提げ袋のようなものが置いてあった。


「失礼ですが、これ、ロレックスですか?」
そう聞かずにはいられなかった。
幸い、デイトナおじさんはパスタを食べ終え、コーヒーでひと息ついているところだったので快く「そうですよ」と答えてくれた。優しい人だ。


デイトナおじさんは続ける。
「ついさっき、○○店で買ってきたんです」


そう言った瞬間、全身が凍りつきそうになった。
身震いしている。心拍数が上がっている。


なんと、さっき僕が並んで「ない」と言われたあの正規店だった。


しかし、中身は何か分からない。
スポロレではないかもしれない。
いや、でもデイトナおじさんは「サブマリーナが欲しい」と言っていた。
何を買ったのか知りたい。
でも今のこの状態のデイトナおじさんは自ら進んで話してはくれなさそうだ。
事実、愛想はいいが、私の質問に答えるだけという一問一答形式のコミュニケーションしかその場にはなかったからだ。
ならば、勇気を出して尋ねようか。
それとも、潔く、「失礼しました」と言ってその場を離れようか。
しかし、もし、この袋の中に入っているものがサブマリーナなら、あの美人女性店員やその他大勢の来店客に言っていた「入荷はごさいません」は嘘だということになる。



「失礼ですが、これ、中身は何が入っているんですか?」
勇気を出して、最初、デイトナおじさんに話しかけた時と変わらないような定型文風質問で尋ねた。
するとさっきまでの穏やかなコーヒーの似合う愛想のいいリッチなおじさんという雰囲気が一変して真剣な表情になった。
まるで鑑定士がレア時計の鑑定を行うみたいに。

「お兄さん、悪いが、それは簡単には教えられない」
デイトナおじさんはそう言った。
さっきと目つきも変わっている。
まるで別人みたいだ。
「簡単には」とはどういうことだろう。

僕は質問を変えた。
「今、腕につけていらっしゃるのはデイトナですよね?」

するとデイトナおじさんはまた穏やかな雰囲気に戻り、答えた。
「そうですよ。5年ほど前に同じお店で購入しました」
ニコニコとしている。



よかった。最初見た時の元のおじさんに戻った。
この流れでどんどん核心に迫ろう。
「ということは、今、袋の中に入っている時計は2本目のデイトナということですか?」
私はそう尋ねた。

「いいえ、デイトナではないですよ。デイトナは1本で十分です。そして、そもそもあのお店では今日の入荷はないと言っていましたよ」


それは分かっているよ、デイトナおじん。

そして、さらに追求を続ける。
「ならば、オイスターパーペチュアルですか?」

「いいえ、違いますよ」

するとデイトナおじさんは急用ができたと言ってその場から立ち上がった。
中身が何か知ることができなくて悔しかったが、デイトナおじさんを無理やり引き止めることはできない。

「突然、失礼しました」
そう言い、私も店を後にした。


お腹は満たされたが、何かが全く満たされていない。それはある意味では睡眠欲だろうし、ある意味では性欲だろう。しかし、正確にはそのどれもが該当しない。
そう、満たされていないのはサブマリーナを手に入れられていないといういわばロレックス欲だ。
そして、あのデイトナおじさんが手にしていたロレックスの手提げ袋の中身を知ることができなかったということ。






そして、また商店街をぶらぶらする。
「気持ちを落ち着かせるために並行店に行こう」
そう思ったのはランチを取ってから30分後のことだった。派手なロレックスの写真などが出入口に掲げてある、さっきとは別の並行店に入ってみる。
中では白髪の男性がデスク上で店員と書類のやり取りをしていた。

まさに、だ。
「さっきのデイトナおじさんじゃないか」
偶然の再開を果たした。しかし、デイトナおじさんはデスクの向こうの店員とデスク上に並べられた書類を交互に見ているので私の存在には全く気づいていない。
相手が気づいていない以上、まだ再開とは言えない。
私の存在に気づいたらどんな顔をするのだろうか。
そんな好奇心もわいていた。
ちょっと図々しい人になっているだろうか。
でも、それ以上にあのデイトナおじさんが持っている手提げ袋の中身が気になってしまう。


そっと近寄り、デスク周辺を確認する。
デイトナおじさんが持っていた手提げ袋はデスクの端に置いてあるだけで、それ以上は何も確認できない。しかし、すっと目線を左にそらすと、なんと、そこには光り輝くサブマリーナがあった。
しかも、私が狙っていた青サブだ。
正規店で「在庫がない」と門前払いされた青サブだ。
正真正銘のスポロレ、サブマリーナだ。
デイトナおじさんは購入したばかりの青サブを査定してもらっている最中だった。
ここでもまた眼光の鋭い店員が虫眼鏡を使い、他には時計の夜光塗料を確認できるような機械を使ったりしながら新品の保護シールさえ剥がされていない青サブを入念に確認していた。
歌舞伎の睨みのように店員の目がぎょろっと上を向いたり横を向いたりしている。
そして、少しの沈黙の後、店員が言った。
「800万円でいががでしょうか」
「喜んで」
即答でそう言ったデイトナおじさんの語尾は上がり、店員もニコニコしてお互い嬉しそうにしていた。
だが、私はちっともうれしくない。


その青サブは定価の2倍以上で取引されていた。
信じられないと思った。
同時に正規店で購入できていない自分自身が受け入れがたい事実としてそこにあった。



100万円の帯封つきの束が8つ、デスクの上に積み上げられている。
帯封つきだから数えてすらいない。
そしてその隣にはキラキラと輝いている青サブがあった。
デイトナは変わらず腕に巻きつかれている。
どうやらそれは売らないようだ。



私はデイトナおじさんが振り返るのを待った。
じっと待った。


しばらくすると、デイトナおじさんは札束を受けとり、イスから立ち上がった。
そして、こちらを向いた。

その瞬間、私は言った。

「おたく、それ(青サブ)、最初から売る気で買ったのか?」

そう問いつめるとデイトナおじさんはびっくりした表情を見せた。少し青ざめているようにも見える。
そして、無言で固まっていた。


「やっぱり青サブだったんだな」

私は一目散に、さっきの正規店に戻った。
そして、間髪をいれず、店長らしき背の高い男性に話しかけた。

「さきほど、購入されたご老人の方、さっそく売ってましたよ」

すると男性(おそらく店長)は拳を強く握りながら言った。
「この野郎…」。
そして、他の店員はみな「こんちくしょー」と叫んでいた。
あの対応してくれた美人女性店員も「こんちくしょー」と言っている。


「今、どこにいるか分かりますか?」
そう言われ、デイトナおじさんがいる並行店の場所と名前などを告げた。
すると、店長らしき背の高い男性が他の若い男性店員に目配せした。
そして、男性店員が2人、店を飛び出して行った。




「情報提供ありがとうございました。ところで今日は何をお探しですか?」

男性(おそらく店長)は優しい穏やかな口調で言った。

私が答える。
「青サブを探しています」


すると男性(おそらく店長)は言った

「少々、お待ちくださいね」


何やら奥の方に行ってしまった。
周りでは相変わらずお客さんでにぎわっている。
「サブマリーナありますか?」
デイトナありますか?」
世代や男女問わず、店員はみな、それらのお客さんに対して「本日の入荷はございません」と答えている。


ちょっとよろしいでしょうか?」
店長が戻ってきた。
私はさっきデイトナおじさんが案内されていた個室に入った。



中にはデスクとイスがあるのみだ。
店長はイスに座るようすすめる。


「たった今、入荷して検品中の青サブがごさいますがいかがでしょうか?」



私は見たいと即答した。


すると、緑の上品な箱から宝石のような青サブが顔を覗かせた。
「きれいですね」


私はそう一言感想を述べた。
そして、さっそく、定価の○○○万円の支払いを現金で済ませ、店長と握手を交わし、お店を後にした。
帰り際、ロレックスの全店員が私にお辞儀をした。
夕日がまぶしかったので影のようにしか見えなかった。
私がさっそくつけた青サブも光に反射してまさに宝石になっていた。
そして秋のちょっぴり冷たい風が肌に心地よかった。


その後、スマホで実勢相場を調べるとすでに定価の2倍どころか3倍、4倍に膨れ上がっていた。
しかし、私がこうして手にした青サブはその価格よりも遥かに価値があるように思えた。
とてもじゃないが手放せないと思った。
お金に換えられるものじゃないと思った。
この青サブと共に時を(人生を)(余生を)刻んでいきたいと胸に誓った。


ロレックスのことばかり考えていたからだろうか。
こんな夢を見てしまったのは。
畳の上の敷き布団にはいつも以上によだれが垂れていた。
おわり