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大半の庶民と何が違うのか

東大や早慶は高学歴ではない時代

高学歴の意義や価値はすでに廃れ、その意味を失い、人は豊富な情報の取捨選択とコスパを模索する時代に入った。
強いて言うなら高学歴とは質の高い情報を駆使しコスパのいい行動ができる人です。
それがたまたま東大生ならその東大生は高学歴だと言えます。
いわば、名前や歴史的背景、ブランド力だけでただちに高学歴とは言えない時代になったということです。
たしかに、平成まではそうだったかもしれません。
しかし、レイワの今、それは時代錯誤と言わざるをえません。
大学名が高学歴に直結するのではなく、その人や人となりがまず高学歴か判断され、評価される時代です。
だから、名の知れない世間がFランだと定義付けそうな大学にも理論上は高学歴だと言える場合もあるということなります。
東大や早慶など、名の知れた大学を高学歴だと考えている人はトヨタだから安心安全だと考えている人と何ら変わりはない。情報分析能力に優れ、コスパを重視する人間にとってそれは実に浅はかで滑稽に映る。




車に置き換えると話が早い。
私はクラウン乗りだが、決して軽自動車を見下してはいない。
なぜなら軽自動車には軽自動車にしかない強みやメリットがあるからだ。
だから、私は軽自動車にも乗っているし尊敬している。
しかし、たとえば、外車乗りやレクサス乗りを見ていると(いわゆる高級車)、我が物顔で飛ばしてる輩が多い。
厄介なことに、(いや、安全のためかもしれない)
みんな道を譲るのだ。
メルセデス様がお通りだというように。
だから余計に奴らは勘違いする。
そして他の車を見下しては自分は高級車乗りだと自慢する。
誤った古い高学歴に対する考え方をする人はまさにこういう奴らのことを指すのです。
見下されているのはこうした奴らだと当の本人は気づいてはいない。
あいつらは見下す側の人間だと勘違いしているから。
こういう奴らがいわゆる高学歴、高収入、高級車を誇示したがるのです。
誇示したがるのは不安の表れでもあります。
だから、私が言いたいことは、高学歴になって見下されないようにしましょう、ではなく、そのような腐った価値観の勘違い人間になって陰で実は見下されているという救いようのない人間にはならないようにしましょうということを言いたいのです。
それが究極の愚か者ですから。