0.02%の金持ちになるには

大半の庶民と何が違うのか

無になれる場所

気がついた時には真っ暗な視界が僕の前に広がっていた。正確に言えば真っ暗なのに横に誰かが笑っているような感触さえあった。僕は起き上がろうとするが全く身体に力が入らない。誰かに身体を押さえつけられているわけでもないのに。突然怖くなった。自分の身体が全く動かないことに。僕は内心パニックになっていた。もしかすると横で笑っている人に毒でも盛られて僕は動けなくなっているのではないかとも考えた。だから、横にいる人を見ようとしたのだが、依然として身体は動かなかった。手も足も同様に。どうしよう。僕にはまだやり残したことが山ほどあるのに。ここで終わるなんて納得できない。誰か助けてくれ。

 

 

突如まぶたが開いて僕は布団から起き上がった。呼吸が明らかに荒くなっている。でも、ほっとした。身体もしなやかに動く。どうやら金縛りにあっていたようだ。特にストレスを強く感じながら生活しているわけでもないのになぜ金縛りが起こるのだろう。

 

 

父が、人は死んで心臓が止まってもその後4分間は意識があるから怖い思いをするだろうなと言っていたが、まさにあの金縛りのような状態になるのだろうか。全く身動きもできないのに意識だけがあってどうしようもなくなって、心臓が停まったもんだから酸素も行き渡らなくなって、もがき苦しむという。

 

そんなわけあるだろうか。最後の死がそんな風であるならば真っ当に生きた人にとっては酷すぎる。そんな理不尽なことがあるだろうか。

 

でも、父は持論を全くもって譲らなかった。ソースも明らかにしないくせに。

 

 

人生なんて最後は結局、「死」なんだ。

 

最後は灰になって骨が残る。無になる。産まれる前がそうであったように。

 

産まれてくるとは残酷なものだ。少なくともこの世に、この両親のもとに、この家系のもとに産まれたいと意思表明した記憶はない。

なのに、セックスしたら妊娠するという明らかな確信犯(両親)が無であった僕を引き連れた。僕には何の権限もない。でも、両親には避妊という選択肢もあった。なのに僕を誘拐し、こんな残酷な世界に強制的に引き連れた。そしてしたくもないことをやらされ、競争の波にさらされ、欲望だけが膨らんでいく汚い世界を生きるはめになった。

 

無は無のままでよかったのに。

 

 

 

僕がたまに帰りたくなるふるさとには何もない。まさに無だ。でも、人々は何かを無理して作り出そうとはしない。自然のままにありのままであろうとしているように見える。

 

僕が暮らす都会には何もかも詰め込みすぎたんだ。産み出しすぎたんだ。量産し過ぎたんだ。ありのままを変えすぎたんだ。

 

 

帰りたくなるふるさとには何もない。静かな時間が流れているだけだ。

 

欲望のままに生きてても疲れる。

競争の波にさらされていると疲れる。

 

日本は素晴らしい。そんな場所があるのだから。

僕はそんな「無」になれる場所にできるだけいたい。そうすれば自然な感じでいたって穏やかに無になれると思うから。