0.02%の金持ちになるには

大半の庶民と何が違うのか

都心陰部 

       

         都心部

 

 

旅行予約サイトにはバツ印があったから、その日は満室なんだと諦めていた。しかし他の宿がしっくり来ず、ダメ元でその満室であろう日にちを電話でその宿に直接問い合わせてみた。

「宿泊したいのですが、○日はもう満室ですよね?」

最初から諦めたトーンで尋ねたのがかえって何らかの力を呼び起こしたのか、あっさり予約が取れた。

「どちらからお越しになられますか」と聞かれたので「○○」と都市名や地区名は言わずに都道府県名だけで遠慮ぎみに答えた。

        

         田舎

 

当日、僕はMAZDA2を都心から走らせ、その温泉宿がある県に昼には着いた。エンジンの回転数を上げたままできるだけ走りたい僕は、3速ぐらいでずっと走っていたように思う。ひとまず道の駅でアイスクリームを食べて、街を散策。観光客が多い。スーツ姿の男性も歩いている。いつのまにか京都みたいになっている。あの廃れた感じが薄れるのは少し寂しい。でも、お金がまわるのは地元の人にとっては嬉しいことなのだろう。いや、所詮は一過性のブームとしか思っていないのではないだろうか。どうせ忘れられる。使うだけ使われてあとは捨てられる。

 

 

チェックインの時刻が迫ってきていた。なるべく時間ちょうどに着きたい。僕は宿の住所地をナビに入れ、道の駅のパーキングから車を発進させた。

 

片側一車線で視界は山と川。土砂崩れを防ぐためか予算の都合上かよく分からないが、工事をしていて停止を求められる。緩やかなカーブが続く先に現場作業員が立っているのだ。そして、前方にはショベルカーが活きのいい蟹のように踊っていた。現場作業員は、少し険しい表情の野性的な小太りの印象だった。かなり日焼けもしている。僕は余計なストレスを溜めぬよう音楽を聴きながら無になろうと努めた。

 

しばらく走っていると宿の案内板が見えてきた。もうすぐだ。でもそこから峠道が待ち受けていた。どうやらそこが最後の関門らしい。でも、峠道はむしろ僕の得意とするところだ。同乗者がいると遠慮したくなる道ではあるが。

 

走り屋の喜びそうなくねくねした峠道をおそらくは1〜2キロ走ってようやく宿の前に着いた。

 

木造建築の古びた家みたいな旅館である。すぐそばにあった砂利道の駐車場に車を停めて、おそるおそる宿の中に入った。玄関には誰もいない。限りなく一軒家の玄関に近い。閑古鳥が鳴いている。満室が嘘のようだ。従業員さえ見当たらない。どうしたのか。

 

「すみませーん」と声を出してみる。応答はない。もう一度「すみませーん」

 

応答がない。しかし、直後にバタバタと階段を降りる音が聞こえた後、30代半ばのふくよかな女性が受付窓に現れた。メガネをかけている。オタクっぽい。

「予約していた○○です」

「お待ちしておりました。こちらにご記入お願いいたします」

接客は慣れているようだ。でも、とてもラフな服装だ。白いパーカー?のように見える。

言われるがまま、宿泊者名簿のようなものに名前などを記入すると、客室に案内された。

 

「お食事は何時頃にいたしましょうか?」と聞かれたので18時でお願いしますと言った。

 

お茶菓子もない。質素な宿だ。年季の入った畳の客室で、大きな四角い窓からは川を見渡すことができる。まるで雨音のように窓を閉めていてもはっきり川の流れる音が聞こえてきた。

 

 

1人の時間が流れていく。眠りについてしまいそうなぐらいに川の流れる音が乳幼児期に聞いたであろう子守唄のように僕の耳の中に自然に入ってくる。それ以外何も聞こえないので無音よりも静かな気がした。

 

少しばかりのリラックスをした後、男湯に向かうと誰もいなかった。貸し切りだ。客室が川の流れる音しかしないなら、大浴場は湯の流れる音しかしなかった。

 

かけ湯をし、ゆっくりと湯船に浸かると身体全体が包み込まれるような感触になった。そして、湯気がスモークのように浴場全体を覆っていた。温かい美容液のような温泉で気持ちいい。無色透明で微かに硫黄の匂いも漂う。温度もちょうどよかった。

 

このままずっと浸かっておきたい。だが、のぼせないうちに風呂をあがり、客室に戻って、川の流れる音に耳を澄ませながら短編小説を読み始めた。

 

 

 

18時ちょうどになり、誰かが部屋に入ってきた。今度は年配の女性でこの宿にふさわしい感じの何の違和感もない女将らしき人が料理を運んできた。待ちに待った夕食は川魚や山菜を使った会席料理で、だしをうまく使っていて美味しかった。ご飯をおかわりする際「おいしいです」と言うと笑って喜んでいた。

 

食後、女将は手早く布団を敷いて客室を出て行った。僕は少し休んでから温泉に浸かり、客室に戻って、読書を再開した。2話目を読んでいる。外はすっかり暗くなり、川の流れる音もどことなくナイトモードに移行したような気がした。

 

本を閉じ、自分も何か書けそうだとスマホを開いたが、何も書けないぐらいに無になっていた。むしろ、スマホブルーライトさえ煩わしい明かりとなっていた。いっそ、この温泉宿にいる間はスマホを見ないようにしよう。そしてそのまま僕は布団の上で眠りについた。

 

だが、翌朝目を覚まし、ふとスマホを開くと彼女からラインが来ていた。「○○日、会いたい」

 

今はそんなメッセージすらいらないのに、こういう時に限って来るのが不思議だ。女の勘が働いたのだろうか。一人で来ているのに。

 

だいぶ先の日程を提示されているのにそれが今来るなんて女の勘が働いているとしか思えない。僕が女と浮気旅行に来ていると勘ぐっているのだろうか。または振られることを恐れているのだろうか。そして、その担保のためのデートのリクエストなのだろうか。

 

返事をどう返そうか考えながら朝食を食べ、温泉に浸かり、宿を出た。こういう風にせっかく無になっている時はたとえ大好きな彼女だとしても返信する文面を考えるのすら煩わしくなってくる。逆に普段の日常では何も考えずに過ごすことがいかに困難かということを思い知った。それはつまりストレス(雑音)に苛まれているということだ。都会で鳴り響く雑音はライブハウスの爆音ロックなんて比にならない。でも僕らはそこで生活している。もはや麻痺しているのかもしれない。ひとまず返信は都心部に戻ってからすることにした。

 

1泊滞在している間に僕以外の宿泊者とすれ違うことはなかった。隣の部屋から声や物音が聞こえてくることもなかったし、会ったのは全て従業員だった。

 

 

チェックアクトの際、受付のふくよかな女性が玄関先まで見送ってくれた。ここで寝泊まりしているのだろうか。規模の小さい旅館だし、朝清掃に来た40代ぐらいの細身のシングルマザー風の女性も朝食会場にいた40代ぐらいの職人気質の小柄の男性も、昨日の夕食時の女将と思われる女性も皆家族なのかもしれない。家族経営の旅館なのだろう。そう勝手に推測した。そして金庫番のふくよかな女性が実質的な経営者であり、少なくとも家族の中で最も権力を握っているのかもしれないと思った。そう考えるとふくよかなのも納得がいく。お父さんは多分すでに他界していてその奥さん(夕食時の女将)や子どもたち(受付のふくよかな女性ら)が受け継いだ形なのだろう。商売っ気もないし、変に張りぼてでもなく、質実剛健な経営をお父さんはしていたんだろうと想像した。そして、それがきちんと自然な形で守られている。ビジネス臭のする街や旅館とは無縁だった。

 

そんなことを思いながら僕は旅館を後にした。名残惜しい気持ちと寂しい気持ちと懐かしい気持ちが混在した。この旅館はたった一泊で見知らぬ土地を僕にとってのふるさとに変えた。

 

     

        都心陰部

 

 

気がつくと僕の顔面は彼女の陰部の前にいた。周囲は熱帯雨林のように高湿度に保たれていて、ほっそりとした短い線のような肉の割れ目が視界の中心に佇み、その割れ目に沿って申し訳程度に陰毛が生えている。湿度の高い環境で育った生で食することができる新興ブランドの肉だ。僕はそのブランド肉にあらかじめシェフが入れたであろうその割れ目を指でさらに開いてみた。すると表面の肉とは打って変わり、照り焼きのように光沢のあるふっくらとした赤身が顔を覗かせた。透明で少し粘土のあるソースをまとっている。僕はすぐにそれにかぶりついた。匂いは一見すると無臭。でも、何回も鼻で深く吸っていると微かにレバーのような生々しい香りが漂ってくる。僕は内部のその派手な赤身を何度も嗅いで吸っていた。深く吸っていると穏やかな気持ちになれる。タバコとかシーシャなんて比にならないぐらいに。

 

 

あとは流れ作業。目新しいものは何もない。あるとすれば最近は彼女の方からよく求めてくるということだろうか。「いっぱい奥まで突いて」とささやいてきたり、ベッドで密着正常位で抱きあっているとふいに強く抱きしめてきたり。

 

「おねだりは?」「いっぱい奥に出して」

 

そうおねだりされたら支払うようにしている。神聖な精子だ。なりふり構わず出すわけにはいかない。希少価値が高いからだ。そのへんの男のそれとはわけが違う。遺伝子レベルで、染色体レベルで根本から作りが違う。それを一番気持ちよく絞り取ってくれる可愛くて優しい彼女の奥にたくさん出そう。

 

暴れる陰茎と伸縮を繰り返しながら激しく鼓動する互いの心臓と大きく揺れるひとつになった男女の裸体。その間にすき間はなく上昇した体温と汗で満たされている。裸なのに裸ではないみたいにすべての露出した部分が相手の肌や粘膜、水分によって覆われている。そして、ベッドの上で腰を動かしているのにその身体が天井に当たりそうになっている。こんなにもベッドの上で上下にバウンドするのか。彼女は一切緩みなく身体全体で僕にしがみついていた。ふつうの女性は膣だけで受け止めようとするが、彼女は身体全体でどこまでも付いていって、どれだけの衝撃も受け止めるという意志の強さが感じられる。どうやら彼女は僕の射精を身体全体で受け止めるつもりらしい。そんなことしたら僕自身狂って壊れてしまいそうだ。でも、気持ちよすぎてもはや腰の動きを止められない。言語が発達してなかったころの原始人のように「あーあー」息を漏らすことしかできない。本当に馬鹿みたいに。でも、精子はすぐそこまで込み上げてきている。そして、本能が溜めに溜めた精子を思いっきり大量に出してやると叫んでいた。彼女の子宮を真っ白でトロッとした精子だけでタポタポに満たしてやると。腰の動きはさらに加速し、互いの喘ぎ声もシルキーシックスのエンジンが上まで際限なくまわっていくときのような躍動感に満ち、やがて射精に至った。

 

 

 

残念だが、この瞬間ばかりは文字にすることも噛み砕いて説明することもできない。とにかく気持ちよすぎるということと、わけが分からなくなっているということだけだ。

 

陰茎の根本からまるごと持っていかれそうなぐらいに彼女の陰部はある種の吸着力を備えていた。路面に吸い付きながらコーナーを突破するドイツ車のように。ちょうどいい体温とちょうどいい湿り気で優しく全体を包み込み、変に締めつけたりせず、かと言って緩いわけでもない。数の子天井とかぱっと命名できるような単純な名器ではないと思う。これは何度もセックスをする中で僕の陰茎を彼女の陰部が精密に形状記憶した結果だろう。僕の陰茎に最も適した膣の形状に彼女はなっているのだ。彼女のそれは僕のそれを受け入れるためだけに存在している。僕を受け入れるためだけのオーダーメイドの唯一無二の名器。僕にしか感じられない名を持たない器なのだ。これまでも、これからも。運命とはそういうもの。最初から最後まで決まっている。

 

これ以上振れないというほどに激しく腰を振って、彼女の裸体をベッドに叩きつけるようにすると、白いシーツはまるでトランポリンのように上下にゆらゆらと揺れだした。だが、いくら揺らされても彼女は微動だにしない。定位置からズレたり離れたりもしない。ただただ僕の陰茎に身体全体で食らいつき、1ミリたりとも離れないようにひっついている。それだけ僕の貴重な精子を自分の中にある奥めいた場所でしっかり受け止めたいという意志の表れであろう。一滴たりとも残さずに。

 

射精によりどっぷりと奥の奥に突っ込んで出した陰茎は非常に敏感になっていて、いまだ彼女の中で小刻みに脈打っている。それが収まるのを待ってからゆっくり引き抜いた。引き抜く時は改めて奥に突っ込んでから。ゆっくりと彼女の湿った膣内にある無数のひだを確かめるようにしながら。

 

くたびれた陰茎が白い精子をまとわせながら地上に帰還した。まるでどこかの小さな島に不時着したセスナ機のように行き場を失っている。だが、同時にすべてを出し切った背徳感に包まれている。これ以上何もいらない。最大限の快感だ。

 

僕は倒れるようにベッドに横になり、ただただ呼吸が落ち着くのを待った。水分を補給し、自分は生きているんだと自覚する。もう当分セックスはいい。横で寝そべる彼女もただの人間に思えてくる。陰茎がなくてその代わりにふっくらと出っぱった肉の割れ目があり、その割れ目に沿って毛があり、脂肪がなぜか胸によくついている男にさえ思えてくる。

 

呼吸が落ち着くと、ハグしたり撫で撫でしたりして時間を共にした。悲鳴のような喘ぎ声も天井や隣の部屋に届いていただろう。恥じらいを失う激しすぎるセックスだ。または、恥をさらすことで余計に興奮する性行為だ。とにかく頭はスッキリしているのに物理的な力があまり出ない。

 

僕と彼女とのセックスは、挿入するというよりは、1本の固い陰茎で彼女の身体全体を突く(つつく)と言った方が正確かもしれない。つつくごとに彼女は高くておさなげな喘ぎ声を吐息のように漏らした。そして最後は僕の陰茎も彼女の身体に同化して一つになっていた。

 

彼女は女の子が欲しいらしい。僕も女の子が欲しい。でも、産み分けられるわけではないし、男の子だからといって悲観するのもいけない。でも、女の子を作るためにセックスしていると思う方が興奮する。女を生成するために女を犯す。でも、女が産まれてもその女が男に犯されると考えると、どっちもどっちな気もした。反対に男が産まれてもその男が将来数々の女を犯す可能性を秘めていると考えるとそれはそれでわくわくしてくる。

 

         田舎

何もないのが心地良いと思えるのは田舎ならではだ。何も作らない。何も産み出さないから無用な音がしない。無用な音がしないから本来、人間が聞くべき音を感じ取ることができる。そして、それは人間にとってごく自然な音だからストレスにならない。むしろストレスを緩和してくれる。そして、ストレスがないから争いが起こりにくいし奪い合いも起こりにくい。むしろ分け与えようとする。余計なものは作らない。量産しない。都会のアンチテーゼ。

 

      

        都心部

ホテルでの会食には必ずロレックスを着けてマウントを取ろうと考えていたのに、結局カシオを着けて行った。BMWも地下駐車場に置いたままだ。情けない。宝の持ち腐れだ。ロレックスを着けてロビーで見せつけてやろうと思っていたのに。食べるときにロレックスのことばかりが気になって集中できなくなると思って着けていくのをやめた。過保護だ。

 

 

会食はコース料理で、メインには湿度の高い環境で育った生で食することができる新興のブランド牛のソテーが出てきた。シェフがあらかじめ入れたであろう切り込みにナイフを入れ、さらに開くとふっくらとした光沢のある赤身が顔を覗かせた。僕はそれにかぶりついた。噛めば噛むほどに味わいが広がり、ほのかにレバーのような独特の臭みが舌を駆け抜けた。香ばしさも感じられる。

 

 

会食を終えホテルの駐車場を出ようとすると、自分の車のバックミラーにベントレーが映し出された。ベントレーはバックミラーに映し出す画角から1ミリたりともズレずに存在し、それは国道に出ても変わらなかった。つまり、そのベントレーは僕の背後に付いて離れなかったということだ。