0.02%の金持ちになるには

大半の庶民と何が違うのか

不倫タクシー

蓮華寺昭二。71歳。
時刻は午後11時。
個人タクシーの運転手をしている。
働く時間は主に夜から明け方にかけて。
仕事柄、山道を走ることが多い。
というより山道をよく行き来するのだ。
乗せるお客さんはみんなあの宿を利用している。
錆びて茶色になったのか、元々の色が茶色なのか分からないようなあの3階建ての旅館を。
出入り口は2つに分かれていて、いつも裏口でお客を乗せる。
あんまり大きな声では言えないんだが、この旅館、
不倫カップル専用の宿なのだ。
この宿の経営者いわく、バレないための不倫宿らしい。
私がこの宿と専属契約を結んだのは夢のような報酬が条件として提示されたからだ。
おそらく、一般的な個人タクシーの給料の2倍、3倍はあるだろう。
それが毎月、約束されている。
そのくせ、乗せるお客はそんなに多くない。
一晩で1、2組程度だ。それも不倫宿から都心部まで送り届けるだけだ。所要時間は1時間もかからない。山道をひたすら走れば着く。しかも深夜だから空いているんだ。
基本的には不倫宿の裏口前で待機しておく。
そうすれば宿の支配人から連絡が入るから、あとはお客が出てくるのを待って乗せればいいだけだ。
2人で仲良さそうに出てくる場合もあるし、男か女の一方だけというパターンもある。
車内では終始、無言のお客がほとんどだ。
この私さえも疑ってかかるぐらいじゃないと危ない世界が不倫というやつだ。
おやおや、支配人から連絡が来たぞ。
まあ、そっと見てておくれ。






神無月みらい。27歳。
関口ともき。34歳。既婚。子持ち。都心部の3000万のマンションを40年ローンで購入。2歳の娘と生後3ヶ月の男の子。妻のかなえとは職場で知り合った。

現在、2人は不倫宿の客室で情事を交わしている。
みらいの身体はきれいにムダ毛の処理がされているが、女性器を覆う毛は無造作に生えていた。
客室の照明は2段階調節が可能となっており、一番控えめな照明に今はなっている。
関口ともきは財布の小銭入れの中に閉まっておいた厚さ0.02㎜のコンドームの袋を破っていた。
その骨太な指は、さっきまでみらいの女性器をぐちょぐちょに濡らしていた。
その証にともきの指には水でも油でもない、いやらしくて艶のある分泌物がまとわりついていた。

「挿れるよ」
白い布団の上でともきがささやいた時、みらいはゆっくりと頷いた。
ともきの硬くなった陰部がみらいの柔らかくてぬるぬるとした女性器の中に入っていく。
その陰部が全てみらいの女性器に覆われた時、ともきは「うっ…」と声にならない声をあげた。
みらいもそれに呼応するかのように艶のある高い声を出した。
ともきの陰部が上下に動くたびにみらいの喘ぎ声はより響きを増し、ともきの息遣いも荒くなる。
女性器の奥まで入ってはまた顔を覗かせる陰部。その繰り返しだ。
陰部は規則的な動きをしながら、みらいの放つ分泌物をまとわりつかせ、女性器から引き抜く動きをする度に何本もの糸を引いている。
そしてまたみらいの女性器の奥を目指す。
こうしてみらいの女性器を用いて陰部を刺激している内に、ともきは現実から離れられる。



「イクよ」
ともきのピストンはこれまでにないぐらい速く、みらいの喘ぎ声も隣の壁を突き破りそうなぐらい大きくなった。
そして、ともきの身体もみらいの身体も大きく揺れていた。



「ねぇ、キスして」
射精を終えて、ぐったりとしたともきにキスのおねだりをするみらい。
ともきが財布の隣に置いてあったチェルシーバタースカッチの箱を取る。
それを箱の中から1粒取り出した。
そして口に入れてキスをする。
甘いバタースカッチの味がみらいの口の中に移る。
こうしてバタースカッチの味を2人で同時に共有するのもまた、ともきにとっての癒しの1つであった。





都心部のマンションの最上階。
駅に停車するためにスピードを落とした新幹線のぞみをそこから見下ろすことができる。
子どもは寝静まっている。
そして、かなえは友人と連絡を取り合っていた。

「馬鹿よね。X(人気俳優)のこと。子どももいるのに。もう全てが台無しよね」

友人はそう言った。
かなえもそのことはよく知っている。

「あれも結局、相手の女がリークしたんでしょ?
怖いわね。Xってケチらしいからね」


かなえは最近、息子の夜泣きに悩まされていた。
今も泣き声が聞こえている。

「ごめん、ちょっと息子が…」
そう言い、電話を切った。
時刻は日付けが変わり午前1時になろうとしている。





チェルシーバタースカッチはとっくに口の中で姿を消した。
でも、口の中はちょっぴりビターな味わいが広がっている。
ともきの唾液とみらいの唾液はそっくりそのまま交換され、それぞれ、自身の一部となった。
一方、ともきのしおれた陰部とみらいの乾きつつある女性器は共に酸いも甘いも掻き分けた同志のようである。
しかし、数十時間後にはまた固くなり、全体を湿らせ、一つになる。
「タクシー呼ぶね」
客室の内線からタクシーを手配してもらう。
その間に、みらいは服を着て準備を始める。
深夜2時のことである。






宿の1階には駐車場があり、そこに黒のマカンが赤い小さなライトをフロントガラス越しに点滅させながら白線に沿ってきれいに駐車されている。ナンバーには板のようなものが置かれ、見られないようになっている。
ともきの車だ。





「女性1名。○○駅(都心部の主要ターミナル駅)付近のAマンションまでお願いします」

午前2時を過ぎた時、宿の支配人からそう連絡が入った。告げられるのはお客の人数と性別と行き先だけ。
それ以外は何も伝えられない。支配人の顔だって分からない。


5分ほど待っていると、その女性客は小走りでタクシーに乗り込んできた。
きっと情事を終えたのだろう。
ミディアムロングの黒髪で前髪は今流行りのシースルーになっている。
20代前半に見える。よく女子大にいそうな雰囲気だ。

車内では終始、スマートフォンを見ており、私と話す気などゼロに近かった。
しかし、時折、リップクリームを唇に塗って、乾燥を防いでいるようだった。
私は車内のエアコンの風量を弱めた。



「今、仕事が終わった。○○君は寝たかな?」
かなえのラインに通知音が響く。しかし、かなえはすでに息子の隣で深い眠りについていた。
時刻は午前3時をまわったところだ。
ベランダから外を眺めると、依然として深い闇が全体を覆っているが、少しずつ次の朝への準備が進んでいるようにも見てとれる。
動き出す新聞配達の原付バイク。始発の準備を始める新幹線N700。住宅街をゆっくりと低速で流す自動車警ら隊のクラウンパトカー。
闇の中でも決して動きは止まらない。






女性客を乗せたタクシーは山道をひたすら走り、都心部に入ろうとしていた。
厳しい暑さは次第に和らぎ、過ごしやすい日が増えた。
都心部の道路は深夜でも車の流れは絶えない。
歩行者だってたくさんいる。
この街は眠らない街ではなく、眠りながら進む街なのだ。



Aマンションの前に到着する。

「5800円です」

女性客はヴィトンの長財布から1万円札を取り出し、渡した。
おつりを渡そうと、ケータイ用金庫を開けた時には
もう女性はすでにタクシーを降りて、闇の中に消えていた。
よくあることだ。
不倫男女はこうしたちょっとのタイムラグを嫌う。
まるでいつもパパラッチに追われているハリウッド女優のように。



転回し、あの宿へと戻る。
もう今夜はこれで終わりだろうか。
そんな勘が働く。


ともきの運転するマカンが信号で停車している。
あと10分弱で自宅マンションの地下駐車場に着く。
念のため、毎回、ルートを変えている。
対抗車線である向かって斜め前方には軽四とタクシーが停車している。
タクシーはスモールライトになっているが、軽四は一番まぶしいライトになっていた。
信号が青に変わり、アクセルを踏み込む。
ラインの既読はついていない。



午前4時、5時、6時。
結局、この日はあの女性客を乗せただけで、それ以降は誰も来なかった。
誰も乗せない日だってあるから今日なんかはいい方だ。
タクシーを自宅近くのテナント貸しの駐車場に停め、歩き出すと、ケータイに着信があった。
私がずっと所属していた大手のタクシー会社で働く後輩の芳樹からだった。
「飲みに行きませんか?」
私が仕事終わりの時間帯を見計らってというよりは、仕事が終わる時間がおそらく同じなのだろう。
駅前の「デンデンちょうちん」という居酒屋で待ち合わせることにした。

「お疲れ様です。蓮華寺さん」
芳樹が言った。
50代半ばのハゲ散らかした小太りのおっさんだが、私より一回りも二回りも若いのは信じがたい事実だ。
焼酎の水割りとタコわさを注文する。
私たち以外に客はいない。
タッチパネルの画面から注文するようになっていて注文する際の音だけは立派だが、肝心の厨房からは物音ひとつしない。
寝ているのではないかと思ったが、酒とつまみは案外早く出てきた。


「ちょっと、蓮華寺さんには言いにくい話なんですが…」
突然、芳樹がそんなことを言う。

「あの、蓮華寺さんが契約している宿、脱税しているみたいで、近々、調査が入るみたいです」

芳樹が続ける。

「これはまだ序の口なんです。本当にやばいのはそこから。もし、調査が入れば、おのずと利用者の情報もバレるみたいで、特にあの宿を利用している有名女優Aなんかは週刊誌やマスコミに晒されることになるでしょう」


「どこで、そんな情報を?」

「知り合いに、記者がいまして…。
あの宿のことで知っていることはないかって聞かれて蓮華寺さんのことを話したら食いついてきて、その流れでいろいろ教えてもらったんですよ」



お前は余計なことを…

芳樹がスマートフォンの画面を見せてきた。
「この人。見覚えあります?」


それはまさに今日乗せたシースルーの女性客だった。

「この人がどうした?」

「いや、A(有名女優)がよくこの宿を利用しているそうなんですよ。既婚男と一緒にね。乗せたことありますか?」

芳樹がにやけながら言う。
「遅かれ早かれどうせ公になるのは決まってます。
問題は誰がいつどんな風にその証拠を差し出すかです。蓮華寺さんが知らないふりをしていても、いずれ他の誰かがタレコミます。ちなみに、情報をあの週刊誌にリークした場合、報酬は○○○万円だそうです。どうです?悪くないんじゃないですか?」



「俺がさも決定的な証拠を持っているかのように言うなよ」


芳樹が笑う。
蓮華寺さんは人間観察が好きでしょう?特に女性の。それだけはよく知っています」


「いやいや…。だいたい、いくら調査が入ってもそんな客個人のプライベートな事情までは分からないだろう」

芳樹が答える。
「さあ、どうでしょうね」


日は昇り、朝日が店内を照らす。
車の走行音やトラックがバックする音が聞こえてくる。


「今日はおいとまする」
私は伝票の上に自分の頼んだ分だけのお金を置いて店を出た。
芳樹はまだチューハイやらビールなどを注文しているようだった。



自宅に戻り、布団を敷いたままの部屋でその有名女優Aが出演していたドラマをYouTubeで観てみる。
予告編だけだが、Aのセリフや表情を確認することができる。
まるで、タクシーに乗せた時とは違う明るい雰囲気が漂っていた。
表情豊かで、嫌みのない笑顔だった。
しかし、タクシーに乗り込んできた時のAは無表情で口がへの字に曲がっていた。
オンとオフを上手に切り替えられると言えばそこまでだが、人間、そんなにも表情を180度変えられるものなのだろうかと疑った。



芳樹によると、どうもAは週に2、3回、あの宿で情事を交わしているらしい。
でも、帰りは深夜2時の時もあれば、翌朝になることもあって、また、移動手段もタクシーだけでなく、相手の自家用車やマネージャーの車、時にはわざわざ隣の県まで始発で向かって帰宅するという用意周到ぶりのようで、Aを乗せることができるタクシー運転手はごく稀だそうだ。
いわゆる「不倫タクシー」も私の以外にも何百台も同じような契約者がいるらしい。
中には副業のように年に数回だけ来るとかもあるらしい。こうしたタクシーは足が付きにくいことからプレミア価格で客を乗せれるそうだ。
これらを芳樹から聞いて初めて知った。


1週間ほどたって、芳樹から最終確認の電話があった。
Aを乗せたんですか?週刊誌へのリークはどうするんですか?、と。
私は沈黙を貫き、週刊誌へのリークに関して丁重にお断りした。


私は不倫タクシー運転手としてお客の命と共に、お客の秘密も守らなければならないと勝手に使命感に燃えていたのだ。