食事中母親が妙なことを口走った。
「今日はすごく仲良さげな親子を見た」と。
そのあとが肝心である。
「本当は仲良くないのに」
どういうこと?
あの事件があったでしょ。
親が子どもを、、、
あーそれね。
普段は見ない親子をたくさん見たの。
絶対仲悪いであろうヤンママが子どもに「今日晩御飯何するー?」と周囲に聞こえるように話したり。
父親らしき人が幼い子どもをみんなに見せつけるかのように連れたり。
偽装された親子愛というか、何かあの事件に影響された親たちが周囲の目を気にして外を子どもと歩き出すという光景が広がっていた。
ちょっと無理してる感も否めないし、わざとらしいというか、でっちあげているというか。
曲がりなりにも子育てをしてきた親が言うことであるから、その感覚は信用に値する。
それに、私も実はそう思っていたのだ。
外を歩いていると父親らしき人が幼い子どもを連れて歩いていたのだが、父親らしき人は、全然元気がないし、子どもも父親らしき人と距離を取ろうとしていた。
思えば葵ゆうと南海キャンディーズの人が結婚を発表した時、外にはやたらと結婚秒読みらしきマンネリ破局寸前も兼ね備えたカップルが溢れていたように思う。
人はそれほどまでに他者に影響されるのだろうか。
私たちは仲良いですよ。
親子愛が育まれています。
私たちは幸せです。
固い絆で結ばれています。
私たちはそんな事件の人間とは違うのですよ。
私たちもあんな感じで幸せになれるのですよ。
これは裏返せば、私たちも実は亀裂が入っているかもしれません、私たちは実は幸せではないかもしれません、となりうるのではないだろうか。
だからこそ、他者に偽りの画を披露することでそんな本心を悟られないようにしているのではないだろうか。
これは、SNSなどでもよく見られる光景である。
本心を悟られないように元気そうに幸せそうに演じる。
たとえば、1億を突然手にした時、うれしくて発狂しそうになるかもしれませんが、いざ、外を歩く時にはそれを悟られないようにしますよね。
なぜなら、それによって詐欺の被害にあったり、お金を求めてたくさんの人がたかってきたりするのを防ぐためです。
でも、お金がそんなになくて不幸せだったとして、
でも、それを悟られたくなければ無理してでもあたかも1億あるかのように振舞いますよね。
つまり、幸せをアピールする人は実は満たされていないのです。
本当に幸せな人はその幸せを形を変えて他者に還元するでしょう。
そう考えると、今日の親子愛アピールしていた人たちは、幸せを感じておらず、疲れきっているのかもしれません。