0.02%の金持ちになるには

大半の庶民と何が違うのか

飲食店の不適切動画に隠されたメッセージ

ビッグエコーくら寿司すき家、ファミマ、バーミヤン、など飲食チェーンで働くバイトによる不適切動画が話題になっている。
唐揚げを床に擦り付けフライヤーに入れたり、魚をごみ箱に捨てたり。
こうした動画を見て不快な思いをし、利用するのを躊躇する人が大半だと思う。
しかし、それは視覚的にこうした現場を捉えたからそう思っただけで、何も見聞きしていなければ大半の人はこうした問題に気づかない。
まさか、今目の前にある唐揚げが床に擦り付けられたものだとは思わないだろう。
これを想像力の欠如と言う。
そして、そこには根拠なき信頼の原則が働いている。
まず大半の人間には想像力の欠如がある。
そして都合のいいように考えがちだ。
だから視覚的に捉えられるものでしか物事を判断できない。
逆に視覚的に捉えられればそれを絶対的に信じ評価を下す。
そこに疑いの余地はない。
しかし、これは危険である。

では、もし、ここに豊富な想像力があればどうだろうか。
飲食店で何気なく出された唐揚げ。
これは本当に衛生面でクリアされた唐揚げなのだろうか。
一度立ち止まり考える。
食べても害はないだろう、あるいは食べないでおこう。
不適切動画がアップされている。
いや待てよ、この動画、捏造されていないか?
編集加工CG、、、。
本当に本人なのか?


目に見えたものが全てを表しているとは限らない。
それは偽りの画かもしれない。
また、目に見えないからと言って想像力を働かせることを怠ってはならない。

今話題の不適切動画に唯一の教訓を求めるならば
人間が怠りがちな想像力を取り戻すことと、目に見えているものが全てではないという、この2点に帰結する。

また、このような不適切動画にしろ、ドライブレコーダーの交通トラブル動画にしろ、まだ犯人が確定し、法的に認められる前からインターネット上にこれが犯人ですと晒し、本名まで拡散させている。
しかし、これが冤罪だった場合、言うまでもなく拡散した側が犯罪者と化す。

これだけSNSが発達した現代では、なりすましやでっち上げ、虚偽の発言や文書、動画が当たり前のように作られ、できてしまうんだということを肝に銘じておかなければ第3、第4の被害者を生んでしまう。

私たちはそこにあるものに対して常に疑いの目を向けなければならないという窮屈な時代に入ったように感じるが、そもそも真実など誰にも分からない。
1+1がなぜ2になるのかも本当は分からない。
そうしたなかで私たちは仮の事実っぽいものを事実と呼んでいるだけなのだ。
それがいかに危険か。
事実と事実っぽいものとでは天と地の差がある。
目に見えているものなんて幻覚かもしれない。
聞き間違えかもしれない、読み間違いかもしれない、解釈の相違かもしれない。
この世に存在する事実と呼ばれるものは、そう私たちが信じている類いのものに過ぎない。

事実は小説より奇なり。