0.02%の金持ちになるには

大半の庶民と何が違うのか

スタバを理想化する経営者がダメな理由

しばしば経営者の指導力が語られるとき、経営理念や企業理念といった明文化された形式的なものをその根拠とするのが一般的な認識であろう。そして
そのもとでいかに経営者が現実の経営で実践しているか否かが重要だと考えられている。
事実、経営コンサルタントが理想的な経営手法を披露するとき企業理念や指導力は必要不可欠な要素として語られ、特にスターバックスはその例としてよく取り上げられている印象がある。
まるでスターバックスは経営の理想であるかのように皆がこぞってその内実を探りにいく。
しかし、果たしてスターバックスは経営の理想を果たしていると言えるのだろうか。
この点を考える上で避けて通れないのが柳田国男論だ。
柳田は日本人の倫理意識は外面的で内面性が欠如しているという一般的な考え方に疑問を呈した。
ただ、その考え方は世の中に広く浸透している共通理解であるということも否めない。
だからこそ、視覚的なインパクトや形式的な素材が重視され、その中で内面性の構築が見失われたという見方もできる。
炎上を招くような過大広告、実態の伴わない経営理念、これらは柳田が批判的だった考えのまさに典型例である。
柳田は日本人の倫理意識は外面的なものとばかりは言えず、むしろ内面的なものに支えられていると主張した。これが物事の本質だとするならば、スターバックスはこれを追求したに過ぎず何も特別なことはしていないということになる。
つまり、現実に人々の持っているものから始動した経営であり、他にない特別なエッセンスがちりばめられているわけでもないのである。
このことはそれだけ本質を見失い、集団心理に惑わされ、社会に批判的な立場を取れない日本人特有の思考がいかに蔓延してしまっているかということを表していると言える。
経営者に大切なのは、スターバックスを神聖視することではなく、今、目の前の経営で見落としていたであろう何かをいち早く見つけ、それを再構築するということだ。
自分の至らない経営術を棚にあげ、スターバックスを理想化しているという点でそのような経営者は未熟なのである。