休日に田舎を歩いてると女子中か女子高生あたりの女子がおしゃれをして歩いているのだが、みんな似たような格好をしている。まるでファッション雑誌からそのまま飛び出してきたような格好だ。
しかし、都会民にはそのようなことはない。
なぜか。
まず、基本的に日本のファッション雑誌にいいものはない。
センスがないのだ。
ダサい。
だから、流行に敏感な都会ではファッション雑誌は参考程度でそのまま、まねはしない。
ファッション雑誌と自分の個性を比較して自分なりに調整しているのだ。
都会では日々、おしゃれの基準は変化する。
だから、ファッション雑誌をまねするだけでは置いてかれる。
しかし、田舎にはそれがない。
参考にできるものはファッション雑誌しかないのだ。
田舎では、都会のように街を歩くおしゃれさんを研究したり、生身のおしゃれ情報を素早くゲットしづらいのだ。
でもおしゃれしたい。
でも、おしゃれが分からない。
だから、ファッション雑誌をまねする。
そのまま。
結果、個性なき量産型女子が生まれるのだ。
都会では超おしゃれな人がいて、おしゃれになりたい女子は、その人をまねする。
ファッション雑誌はあてにならない。
そして、自分の個性を大切にする。
おしゃれとは色使いです。
変な色の組み合わせはセンスのなさを露呈させます。
都会にもそんな人がよくいます。
だから、都会はおもしろい。
おしゃれな人もいればダサい人もいる。
だから勉強になり、おしゃれになるにはいい環境なのだ。
田舎には比較対象がいないから、おしゃれが分からない。
だからとりあえずファッション雑誌がおしゃれの基準になってしまう。
これがおしゃれなんだ、というように。
しかし、ファッション雑誌は写真なので、
実際のものと見え方が異なる。
極論、ださいのにおしゃれに見えてしまうという弊害があるのだ。
だから、ファッション雑誌から飛び出してきたような格好をしている田舎女子はおしゃれというには程遠くなってしまうのだ。
しかし、おしゃれの1歩としては決して間違ってはいない。
いずれ、その女子が上京して、世界が変わり、おしゃれの本質を知るようになると思うからだ。
やはり、おしゃれになりたければ、色使いのセンスを磨き、生身のおしゃれさんを研究し、ダサいファッションがダサいと分かるようになることが大切だ。
そう考えるとモノトーンは非常に無難な選択肢だと言えよう。